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”時計の針は元には戻らない!”

昨日、施術の師匠の個人教授だった。施術を受けるだけならいいだろうが、施術をする側であれば極度に緊張しまくる。なぜかというと、手の指の一本の動きのミスや目線の僅かなブレさえも、君は何を考えているんですか?何もその頭では考えていないのでしょう、といわれながら正しい動きに修正をかけていただく。それもかなりプレッシャーだ。
それだけじゃない。それは師匠の言葉に”時計の針は元には戻らない!”っていう含蓄深い言葉を僕に何度も何度も投げかけてくるから。

どんな意味かというと、簡単にバッサリした説明を許してもらえれば、下手な施術者が施術をしてそのお客の人生をだいなしにしては言語道断、という感じだ。



師匠いわく、別に自分が関係しない施術をする先生たちがどんな施術をしようが、そこには僕たちが介在する余地はないとしている。
お客が自分の目と耳でちゃんと品定めして買える権利がある。だからその権利というものをしっかり行使して、自分に必要なものを選べばいいだけのこと。そこで目利きかどうかはお客自身の強運の持ち主かどうかとかしっかり調べ上げたかどうかという、その二つのことだ。築地の場外市場で鯛を買うときに、どういう鯛がおいしいかを親切に教えてくれることもあるかもしれないが、なかには悪いヤツがいてこの客はカモにできそうだと思うと、なめてかかられて高い金を出して粗悪なものを売りつけられる。日本じゃ、そこまで極端なことはしないかもしれないけど、施術なんていうものは、目に見えるような商品なんかじゃないから、実は実はもっとカモられてしまいやすいという危険がある。

そんなことを実際にしていたりされたりしているから、胡散くさいと言われたり、そんな印象があるんだ。
真面目にやっている施術者もいるのに、その人達もひどい言われようをするのは、心底悲しくなる。


そうはあるものの結局は、お客自身の選択眼がすべてなんで、選ばれるかどうかはそれに任せるしかない。だからもし他の施術院さんで最高の治療を受けてもひどい治療を受けても、それはそのお客さんの自由意志。とやかく僕らが言えたぎりのもんじゃない。もちろん僕なら、ひどい施術院なんてぜったい行かない。師匠のところしかいくきにはなれない。どこぞの有名な先生よりも、頼りになるから。それは、よく内容をわかっているから、それを正しく判断できるからなんだけど、こんなところで同業を身勝手な勝手な批評をする気もないです。それはしちゃいけないのが生活をかけてがんばってる職業人たちのルールだから。


施術というものにもそれぞれの流派があって、自分が接した流派には精通するためそちらが素晴らしき至宝にみえるが、あまり接することない他の施術の流派は情報不足で理解できない。なのに知ったかぶりしてしまって見下したようなことをいってしまうやからがいたりする。要するに、お客はどんな施術法をしてもらうかが重要じゃない。偉そうな顔している著名な施術者にも、またはぽっと出の施術者にも鼻持ちならないほどの自分の自慢話を聴かせたがるやつがいる。そんなやつに施術を受ければ、時間の無駄。かえって複雑な歪みを増やされて体を悪くさせられることだってあるんだから、金を取られながら、体を破壊されてるのだから、ひどい話だ。そんな奴には、おまえになってほしくないんだというメッセージが詰まっている。それにこの言葉は、師匠が本当に目をかけてくれている者にしか絶対に言わない言葉だとわかったときがあって、それまでは頭ごなしに”お客の時間を奪う泥棒やろう”と叱られていたような気がしていたのが、おまえならお客の命の時間を充実したものにできるはずだ、といった期待をかけてくれているように感じられるようになった。



師匠も自分の勉強を大切にするから時間がない。そしてお客の時間を真の意味で大切に考えて自分の命を削るタイプだ。

ただし自分の命を削ってまでやっていく裏には仏教の釈迦が言う慈悲という心があるという。その慈悲というのがもっとも大切だって釈迦は強調して口を酸っぱくしていっていたんだけれども、それは慈悲という人と人との愛情や共感を深めると、それは直接的に自分の心や体の悟りに近づけてくれるという秘密が、そこに隠されているからなんだって。脳や肉体、そして魂が互いに共感したときに、釈迦が求める平安なこころを持って生きていく力に芽生えるんだって。

慈悲は相手にものをやったりして自分の心身や持ち物を削りとり相手にさし出して助けたいという気持ちだが、その気持があるときにだけ、釈迦はある種の境地に至れるというような、そんな筋道を示したかった。












だから不思議な運命を背負っていると思うこともあるんだけど、師匠に損してでも自分の持っているものを相手に差し出すべきときがあるから、そのときは微笑みながら渡しなさいといわれてきた。それは施術の時はその筆頭に当たる。そうした思いが僕も自然なことと思う気持ちが強くなってから、かえって切れ味の鋭い施術の技が放てるようになってきた。


時計の針は元には戻らない。そういう気持ちがあると、今日のことは今日で終わらせること。緊張感が生まれてくるし、多少の女性に対して図々しくもなれてしまう。真剣にそうしたいという願いが、情熱として高まり、相手の話もよくきき、考える時間を惜しまなければ。。。僕の情熱は伝染するようだ。女性との出会いがスムースに訪れるようになってきた。

そしてこのような慈悲の心というものが影響したのかはわからないが、男性側の僕が満足するだけではなくて、女性がより満たされることのほうが自然なことと思えて。そうしたことで女性がオーガズムを感じたときにだけ、男性がそのオーガズムのエネルギーの爆発に共感し共鳴して、女性の脳と似たオーガズムをえることができる。そのことが体験的にもわかった。慈悲の気持ちでのセックスというと、下手な上下関係の視点がありそうに見えるけど、慈悲の気持ちだって情熱を持ってことに接すれば、相手にも影響を与えて伝染して、互いにその気持がやり取りされるようになってくる。そのときに生じてきた性の磁力が半端じゃない!!そんなすごいことを体験できることがあったりしたから。


セックスでも時計の針は元には戻らない、、、それは魅力的な体を維持しなければ相手にされないということもあるんで、はやいところ声をかけなければという焦りにもあるんだろう。これは男性側にもあるんだけど、圧倒的に女性側の方がホルモンの関係で子供を産める時期にセックスをしたがるということがあるので、縁を多少強引にでも結んでおきたいという気持ちが強い時には、男性以上に積極的になる時がある。そんな気持ちで頑張ってる女性には、骨盤の下にあたる骨盤底筋群の緊張を解いて(下着を脱いでもらうことが必須だ)仙骨も緩め女性ホルモンを安定させるということを同時にすればいいだろう。子宮が、ほどよく充血しやすくなるからだ。そうなると、男性が、わさわさとその女性の体に興味を持たざるを得なくなってモテモテくんになることがあるから。

この施術法を女性にしていると、僕自身が思わず勃起してやばぁ・・・となることも、正直でてきてしまう。第二のチャクラという性に関連するチャクラが女性が全開になると、逆らえないよなぁ。
Commented by 二日月 at 2010-08-01 12:59 x
慈悲…相手の喜びにも苦しみにも共感して、幸せは大きく不幸せは小さくしていこう…って心で人と接していくのは気持ちがいいですね。お互いがそうであればもっと気持ちいい!
自分の感情の方が強くなっている人に接する時には、相手に飲み込まれないよう、自分自身がブレないようになりたいと思います。
時間泥棒にならないよう、時間泥棒に盗まれないよう。
Commented by body_revolution at 2010-08-07 20:53
二日月さん コメントありがとう

> 自分の感情の方が強くなっている人に接する時には、相手に飲み込まれないよう、自分自身がブレないようになりたいと思います。

慈悲というのは、相手を甘やかすことではなくて、相手が道を開くための手伝いをすること。

相手がすべきことは相手自身で責任をもってくださいよね、ですよね。


僕の仕事的に言うとですけど。
よい師匠は、道筋を示してくれる。
だが、私どもが怠けて師匠だよりにしようとすると、ぶっとばされます。実際に殴られるわけじゃないけど、二度と来るなと怒鳴られて肝っ玉が縮みこんだことがあった。そんな厳しい言葉も慈悲というか育ててくれようとしてないとでてこないんだろうと。感謝してます。。
by body_revolution | 2010-07-28 22:06 | Comments(2)