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おひさしぶり~。




仕事にプライベートにとがんばっています。
ボロボロ状態に絞られながらですけれども、どうにか生きてますから。
このブログを読んでくれていて更新がぜんぜんないから心配したというメールを数名からいただいて、ありがたくて、うるうるします。

時間をつくるのが下手すぎでネットをしている時間がなくて更新どころか、*連絡先メールアドレス*body_revolution@excite.co.jp
にメールをくれたかたにも返事を書けないことが続いていて、申し訳ないことです。

先に謝っておきますね。ごめんなさい!!
 

昨日から休みに入ったんで、数カ月ぶりに投稿しよう!というような運びとなりました。





一般のOLさんや結婚している女性が、ディープにいく体をつくるために通う整体院

そんなような感じのところがあるというと問題ありでしょうか?




施術に通っていく目的は、もちろんのことですが体に歪んだことでの肩こりや腰痛や骨盤がずれてプロポーションが悪くなったりといったような、体を整えたいということで、そういうようなサービスというものをしてくれる優秀なところとして僕の整体院を選んでくれる方がほとんどです。

そういったお客さんがほとんどだから、もちろんそのようなお客さんのために全力直球勝負で日々疾走してます。



ここでの研究してなんかを成し遂げるような力がためられて行かなければ、この職業をしている意味が無いし、半端ならばやらんほうがよいと思うんですよ。だから真面目すぎるほど真面目な方が楽しい。
職と心中するほどのことを考えていれば、そうとう辛くなる悲鳴をあげる僕の体や精神的な疲労なんかも、いつかは自分がここまでやったんだから自分自身を救えるところまで来たら、そこで報われることだろう。そんなことはなってみないとわからないけれども、見えてくれるようなものが、世界がやっぱりまじめに取り組めば発想がそれに比例して分厚い濃厚なものになっていくことは実感してます。


職業として、介護をして働いている人や外科等の医師や看護師など、ときどき人の死を目の当たりにして人生の短さを感じ、自分の子孫を本能的に残したくて残したくて躍起になってしまう職に就く人。
介護士をしていて、毎日お世話させていただいたおばあちゃんやおじいちゃんが遠くにいってしまったとき、やるだけのことをやったという努力感と、神様のようになって死から救い上げてあげられればと思うけれども、そうもできないという歯がゆさを感じてしまうという人もいました。うちの施術をしていうお客さんには、いろいろな職業の人がいるんで、話をしながらっていうときもあるんですし、アフターで軽食を共にさせていただくこともある。よほど深く、愛情深い人なのだろうと思う。
意外なほどに浮気する人が多いそうだって、たまたま<ただいまの話題>とか、ニュースサイトのトピックをみていて釣られて読んで、ふむふむと納得しました。

人は性を自分の遺伝子を乗せていく壮大な野望を思わざるをえなくなってしまうのが、生を感じるときではなく、自分の人生の限りを実感した死を見つめるときです。

そうなると誰彼に勧められるでもなく、不倫カップルがそこかしこに。僕の職業は、ぎりぎり死について考えさせられるような体験がある。ときどきごく親しき病床につき死を待つ者から死を間近にして施術を頼まれることがあるから。そういったような状況で何を治せるものでもないと思うのですけれども、少し意図的な明るい感じをかもしだす雰囲気で話しかけて、体に負担が強いられないようにしながら手を伸ばしていく。それで数時間、時と場を共有させてもらう。そして数日後に、訃報が伝えられるということを、10人ほど経験があるから。
去りゆく人への悲しみを感じているときに、非日常の時間を体験していたかのような頭がぼ~~~っとして、耳から音が入ってもふさがっているようなときでもあって。きっとそのようなときに、セックスをして自分の血を将来に繋ぎたいといった欲が、差し迫った感じで感じ取れるのだろうか。僕は、そんなとき、人のやさしさや思いや存在がいつもよりもずっと濃密に分厚いようなものとして感じ取れた気がしていた。
だとしたら人を自分の身近に肉体のすべてをもって知り尽くしたいし知ってほしいといった気持ちが芽生えてもくるのじゃないか。
単なる浮気者といえるような人も多いけれども、そのなかにも一度、二度、発情して、、、となったら、無条件にその相手方を終生やさしくした対応をとるようなものもいるんで。そうなると、ちょっと捨てたもんじゃないでしょ。



女性は自分の旦那や彼を持ったとしても、男が思う以上に真剣に生活を、性生活も含めて自分をきれいにしつづけて自分に振り向いてとか、または他の男にも注目させ振り向かせてしまおうかしらと、自分をセクシーに保ち続けて、若さと魅力を女優さんのように真剣に保ってくれる人も多いことでしょう。
そうなると自分がディープにイッた姿を相手に見せてあげられることって、感動を自分にも得られることだけれど、それ以上に愛している相手にだってあなたに幸せな気持ちにさせていもらって嬉しくて一緒にいたいと、言葉以外のそれ以上に深く本能的に響く表現で伝えてあげられるということです。それは生殖活動を、大きく凌ぐような二人のつながりの深め方だから、女性はいける体を持っていたい。そうならばもうすでに満足しているのですが、体にストレスが溜まって邪気が下腹部にたまるといけないし、呼吸も深くないととか心臓も強くないととか、専門的にみるといける体になるにはいくつかのハードルがあって。そうならない体の女性が、今は、若い人も大変に多くなっております。たとえば生理痛があるのにイケるからだって、ありませんから。それは浅くいっている程度のことですから、もしも他のディープにいける女性がいった姿を、ほんまものを間近で性反射を見れば、非常に驚くはずです。
そうなると私にももっと深くイケるからだって、持てるようにならないかしらと真剣になります。そういう人には、いける体になるにはという目的で、あそこを含めて整体されるようにすれば、一人でもっともらしい本を読んでもまったく自信が持てなかったようなことが、いくために通うことで、まじめにいける体験ができたって。
快感を楽しみたいのに、上手くエクスタシーにいかれない、気持ちいいんだけど、突き抜けるトコまでイカれないという、寂しさを感じていた暗いトンネルから抜け出せます。

これは、不心得者な施術をする先生がそんなことをしたら最悪だが、気心知れて、あたりまえにあなたのためにと思い願いつつというのが基礎にしっかりすえてあってのことならばいいんじゃなかろうかと思いますが。
男側が、少なからずこのようなときには勃起していたほうが、陰陽の引き合う力をエネルギーワークのような作用としていかせるためいいんですから。股間がふくれているのをみても笑わないで欲しいし、軽蔑もご法度でしょう。^^


生活の安定がままならないというストレスが強くなってしまう社会環境。
ただ時代は変わっていて実体経済が停滞著しいことになってしまい、自分たちの将来に何が待つかを明るい未来として描けなくなるときに、自分自身に自信が持てなくなってきてしまったり、逃げたい気持ちになっていくようなときに。他人を信じ、自分を信じることさえもできなくなってしまう無力感を感じてしまったときもでてくるでしょう。迷い続け、いつしか命の火の灯火が、弱々しく消えかかろうとしてしまう。
人の栄枯盛衰を占い続けるようなことは社会環境からの影響が大きいのですから、今の借金財政の多くなり続け少子高齢の経済の終息するぎみのニュースがテレビや新聞からながれてくると、自分がそのような厳しい中でがんばっているならば危機感も大きいし自分の身を必死で守らなきゃとなりますが、高給取りで生活が安定している人たちさえも、確実に社会環境からの繁栄の終止感を実感して不安になっている。

そういったような精神的状態は常に恐怖と戦い続けて神経が高ぶり続けてエネルギーが枯渇してしまうし、とうてい社会全体を自分一人だけの力で改革できるほどの力を持っていないと考えてしまって尻尾を巻いてしまう。
この尻尾を巻いたというのは比喩や揶揄ではなくて体に起きる歪曲傾向をそのまま言い表したことだ。そうやって尻尾を巻いてしまうクセがついてしまうと、呼吸が浅くなり、体温が調整しにくくなったり血圧が低くなったり高くなったり、姿勢を正せなくなって歪みが自分で自分を直せなくなるし、アレルギーなどが起きやすくうつになるような傾向を強めていく。もちろん、男性も女性もだ。

呼吸という外界の外気を体内に取り込み、取り込んだ自分の気を外に放出する、内外のエネルギーの遣り取りをするという反応とはオーガズムの波に深く関連するため、この尻尾を巻いてしまう状態では、オーガズムはもたらされませんから。

そして自分が尻尾を巻いてしまっているかどうかは、会陰という部分で呼吸をするんだよということを伝え、こういうことなのかなと実際にそこを呼吸するごとに上下に理想的に動かせているならば、または動かしているコントロール感が持てるならば、オーガズムは女性の骨盤底筋部分の八の字筋全体を別の粋が良い精子を絞り尽くしてしまうような強烈な力を持っているんで。あそこを含めての施術をしていくと、尻尾を巻いて息をしない、息を詰めて無酸素状態にしてストレスも何もかも感じないようにしていきていた悪くなるストレスサイクルから、効率良く抜け出せるようにできるようだから。



人間は感覚こそ命です。無感覚になって他を信じられず自分を信じられぬように生きるのは、いけないことだと整体をするものとしては思えてならない。
感じ取れないのは無反応や無反射になって死につながり、感じ取って順応していくか嫌なものは嫌だから自分の好きなものになれるよう選んで生きていく勇気を持てばいい。
それは社会環境からの逃避ではなくて、師匠ならば野生に戻って怒り牙をむき出せといいます。それには戦える体を持てないと、フィジカルで多少のことでばてているひ弱さでは絶対にいけないといって、体をしっかと刀剣を造るがごとく熱い火で魂を込めて打ち鍛えていくのは、最低限の生きる作法だと。体と心の両面を考えていくときにも、体を十分に整えるのが礼で、その上で心を鍛え内側に在する霊を育むのが人生といってます。


オーガズムが感じられる体は、やっぱり生命力がたくましく自他のエネルギー交換が効率いい。
どんなにつらき社会環境からも、そのようななかからもありがたいエネルギーに満ち満ちていると実感できるような経験をつむこともできる。そのようなものを見つけていこうというのには、見つけ出そうとする目を皿のようにして見つめる目も大切だけれども、あたりまえのように今、生きていて、息をすることができていていることにさえありがてぇよなぁと思えるような感情を持っているかをみていくことも大切だと思う。
僕は禅が好きだが、そこでは奇跡のようなものは無用で、今目の前にあるもの、普通にあるものだよなと何気なくやり過ごし感謝の微塵も今は感じられてなくなってしまったようなものが、そこにあってくれることこそがキセキだといっている。どこかに起こるような奇跡的な何かありがたいことのようなものは、さほど目もくれずに、足るを知る者は富むを好むものだといえるんじゃないだろうか。

だけれどもオーガズムは感じんでも足るを知るならこの程度でよいよ、となるのは、そう言われちゃうと身も蓋もないことです。
そこは、あなたの好奇心のおもむくままでいいんじゃなかろうか。
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by body_revolution | 2012-12-30 17:14 | Comments(2)